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最高裁判所第二小法廷 昭和52年(あ)537号 判決

主文

原判決中被告人辰己秀男に関する有罪部分を破棄する。

本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人山本光彌、同田中征史の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

しかしながら、所論にかんがみ職権をもつて判断すると、左記の理由により原判決中被告人辰己秀男に関する有罪部分は破棄を免れない。

原判決の認定事実の要旨は、被告人は、和歌山市内の小学校の教諭として勤務するかたわら、地域住民の公害防止対策運動の推進などに従事していたものであるが、知り合いの和歌山精化工業株式会社(以下「和歌山精化」という。)の常務取締役総務部長富永清から、同会社工場の反応釜の爆発事故によつて塗装剥離などの被害をこうむらせた同会社周辺に駐車していた一六台の自動車について、その塗装修理を原審相被告人である自動車塗装修理業桝谷元雄に行わせるなどして被害補償問題を解決してもらいたい旨の依頼をうけてこれを受諾し、昭和四八年七月末ころから八月末ころまでの間、右一六台の車両の各所有者と接衝し桝谷とともに各所有者から車の引渡をうけてきて桝谷にその塗装修理をさせ修理完了後は車を所有者に返納しその都度修理代金請求書を和歌山精化に提出して代金の支払いをうけてきて桝谷に交付するなどの仕事に従事していたところ、右一六台のうち株式会社三宝化学研究所和歌山工場(以下「三宝化学」という。)所有の軽四輪貨物自動車については、三宝化学の製造課長柴田真一から再三にわたり、同社の役員会で右車両については和歌山精化に補償要求しないことに決定しているので修理は不要である旨いわれており、したがつて、同車を修理することは所有者の意思に反し将来においても修理する必要もその見込みもないことを知つていたところ、同様の事情を知つていた右桝谷と共謀のうえ、右自動車の架空の修理代金を請求することを意図して金六万九〇〇〇円の修理代金請求書を作成し、同年八月二八日ころ、和歌山精化の広田昭乗経理課長代理に対し右事実を秘し、同車について未だ修理していないことは明らかにしたとしても将来修理するよう装つてこれを提出し、その旨同人を誤信させ、同人を介し同会社から同車両の修理代金名下に現金六万九〇〇〇円の交付をうけてこれを騙取した、というのである。

本件記録によると、原判決の右認定事実中、被告人が和歌山精化の富永総務部長から同認定のとおりの依頼をうけ、同認定のとおりの仕事に従事していたこと、三宝化学所有の車両について同会社の柴田課長から、どの程度明確な態度でいわれたかの点は別として、とにかく修理辞退の申出をうけていたこと、被告人が、右桝谷と意思を相通じ、右車両について同認定のとおりの修理代金請求書を和歌山精化の広田経理課長代理に提出し、同人を介し同会社から現金六万九〇〇〇円の交付をうけたこと、被告人が右金員を請求、受領した際、広田経理課長代理に対し三宝化学から修理辞退の申出をうけていたことを伝えていなかつたことは証拠上明らかである。

そこで、被告人に原判決が認定するとおりの詐欺の犯意があつたかどうかを検討すると、この点について的確な直接証拠は見あたらないが、右事実によれば、被告人は和歌山精化の富永総務部長から右一六台の車両全部について塗装修理をするよう依頼されていたとはいえ、そのうちの三宝化学所有の車両については修理辞退の申出があつたのであるから、他に特段の事情のない限り、その修理代金を和歌山精化に請求すべき筋合にないものであり、また、和歌山精化においても右修理辞退の申出の事実を知らされていたとすれば同車両の修理代金の支払いを承知しなかつたであろうと考えられるのであつて、これらの事理に照らすと、右三宝化学所有の車両について同会社から修理辞退の申出をうけていたことを告げることなく和歌山精化に対し同車両の修理代金を請求しこれを受領した被告人には、右修理代金を詐取する意思があつたと推認されるべき根拠があり、原判決も主としてこのような見地に立つて被告人に詐欺の犯意を肯認したものであると窺うことができるのである。

しかしながら、(1) 被告人の捜査官に対する供述の一部及び第一、二審公判における供述によれば、「三宝化学所有の右車両について同会社柴田課長から修理はいらないという趣旨のことをいわれていたが、自分としてはそれは遠慮にすぎないと思つていた。それに、和歌山精化から右一六台の車全部の塗装修理を依頼されていた自分としては、被害者の方で修理を辞退しているからといつて修理をしないですましてよいとも考えなかつた。右一六台の車の修理の期限については、和歌山精化富永部長から八月末までにといわれていたが、修理の仕事は順調に進まず、八月下旬当時で三宝化学所有の車を含む三台が修理未着手で残つていた。そのような状態であつたところ、そのころ、富永部長から、『いつまでも修理の仕事でお世話になることはできないから、修理を依頼した車全部について残つている修理代金の請求書を提出してほしい。それだけの金を用意させておくから。』といわれた。自分としても、夏休みの終りが近づき新学期の準備があつたほか、自分が交通指導員などをしていた関係で和歌山市内の小中学生に対する交通安全教育の教師用指導書を作る仕事にも追われていたので、これ以上、和歌山精化から依頼された仕事に関係しつづけることができないと思い、代金未受領の車両全部について代金の請求をし、受領した代金を桝谷に渡し、あとは一切桝谷に任かせてしまおうと思つた。それで、八月二三日ころと二七日ころの二回に、当時修理中又は修理済みで代金未受領の車三台と修理未着手の車三台の修理代金請求書を作成して、そのころこれを和歌山精化に持参して広田経理課長代理に提出し、同月二八日、同人から右六台の修理代金合計六一万三〇〇〇円を受領し、これを桝谷に渡した。三宝化学の車について修理辞退の申出のあつたことについて、これを富永部長に伝えてその取扱いについて相談しようと思つたが、請求書提出の際も代金受領の際も富永が不在であり、広田経理課長代理にその話をしても仕様がないと思つたので、同人に対しては、右請求書中には未修理車二、三台の分が含まれていることだけを話しておいた。また、桝谷に対しては、今後自分は修理の仕事の手伝いはできないが、未修理車についても全部修理するように、三宝化学の車については、そのうちに和歌山精化に行つて話をし調整するからと、話しておいた。なお、広田経理課長代理からは修理が全部終つたときに精算書を提出してもらいたい旨いわれていたので、三宝化学の車について修理しないことになつた場合にはその際に精算をすればよいとも考えていた。その後、自分は新学期の準備や交通安全教育の本の作成などの仕事に追われ、さらに、九月はじめに死亡した叔母の葬式のことで忙しく、富永部長と相談することができないでいたところ、九月六日に桝谷が、同月八日には自分がそれぞれ逮捕された。右代金受領当時、修理未着手であつた三台中、一台(三菱ミニカ)はその日ころ所有者から車の引渡をうけて修理にとりかかり、もう一台(サニー、クーペ)については所有者の福島功の勤務先きの三宝化学に二度ほど引取りに出かけたが、同人が出張していたり欠勤したりしていたため、右逮捕当時には修理未着手のままであつた。三宝化学所有の車については、最後に修理する予定になつていたものであり、修理するつもりがないのにその代金を詐取しようとしたのではない。」というのであること、(2) 被告人の右弁解については、原審相被告人桝谷元雄が第一、二審公判においてほぼこれに沿う趣旨の供述をしているほか、証人富永清及び同広田昭乗も第一、二審公判でこれを裏付ける趣旨の証言をしていること、(3) 押収してある三宝化学所有の車についての前記修理代金請求書(原審昭五一年押一八八号の四)と右一六台中の他の一台についての修理代金請求書(同号の二)とを対照すると、後者には修理納車済みを明示する記入があるのに対し前者にはそのような記入がないところ、その余の各車両についての修理代金請求書の取調べがされていない本件では確言することはできないが、被告人において修理代金請求書を提出する際、修理済みのものとそうでないものとを右のような記入によつて区別していたようにも窺われること、(4) 右(3)の事実と、被告人の前掲供述及び証人広田昭乗の証言から窺われる最終的に被告人から広田に対し一六台の車両全部の精算書を提出する約束であつた事実を併せると、被告人の詐欺の犯意を否定させる情況証拠とみることができること、(5) 被告人及び桝谷元雄の捜査官に対する各供述調書中には、それぞれ、三宝化学所有の車両について修理していないのに修理済みであるように装つて修理代金を請求、受領した点において詐欺になると思うとの趣旨の供述記載があるが、そのほかに被告人の右公判における弁解の信用性を失わしめることになるような積極的に矛盾した供述記載はないこと、以上の事実に併せて本件に現われた諸般の事情を総合すると、被告人において右三宝化学所有の車両について修理する必要もその見込みもないことを知りながら将来修理するように装つて和歌山精化の広田課長代理を誤信させたと認定するについては疑問があるといわなければならない。

なお、原判決の前記認定事実と本件訴因との間には喰い違いがあり、訴因変更手続を経ないで右のように認定することが許される場合であつたかどうかについても問題があるといわなければならない。

以上のとおりであつて、原判決には重大な事実誤認の疑いないし審理不尽などの違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、かつ、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よつて、刑訴法四一一条一号、三号により原判決中被告人辰己秀男に関する有罪部分を破棄し、同法四一三条本文に従い、本件を原審である大阪高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(栗本一夫 大塚喜一郎 木下忠良 塚本重頼 鹽野宜慶)

弁護人山本光弥、同田中往史の上告趣意〈省略〉

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